本気で夢を宣言するblog

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第1回 35歳になった僕は、500人の聴衆の前で医療関連の講演をしています! ・・・池田将人

 8歳の時、僕は沸かしすぎて煮え立った熱湯風呂にはまって、全身に大火傷を負いました。下半身を中心に体の3分の1以上が焼けただれ、生死の境をさまようほどの重症でした。親は医者から「覚悟しておくように」とまで言われたそうです。
 全身麻酔の手術を何度も受けて、生死の狭間を彷徨いながらも、幸いなことに僕は命を取り留めました。

 その時の記憶はほとんどないけど、今も体には火傷の跡が残っています。
 だけど後遺症は体の傷跡だけではありませんでした。治療時に輸血された血液からC方肝炎に感染してしまったのです。

 ちょうどC型感染の治療薬としてインターフェロンが出はじめた頃でした。しかし発売されたばかりの薬はまだ完治率も低く保険も適用外だったため、いずれ医療技術が向上して保険が適用されるようになるのを待ってから治療するように言われました。

 僕はC型肝炎を患ったまま成長して、歯科専門学校を出ました。
 卒業後は5年間、歯科技工士として働きました。そして25歳の時に仕事を辞めて、2年にわたるインターフェロンの投薬治療に入ったのです。改良されたとは言ってもインターフェロンの副作用は強烈で、とても仕事と両立できるものではなかったからです。

 投薬中は熱や吐き気や筋肉痛、そしてひどい倦怠感など、インフルエンザのような症状が絶えず続いた他、鬱も発症しました。

 治療に専念した25歳からの2年間、僕はほとんど人ともつきあわず、ひたすら副作用に耐えながら自分の中に引きこもって暮らしました。誘ってくれる友人はいたけど、半端ではない倦怠感と鬱症状に、とても遊びに出る気力も起きなかったのです。

 20代半ば、普通なら社会人として仕事にも慣れ、収入も安定してきて、キャリアを伸ばしながら友達や恋人と思い切り若さを楽しむはずの時期です。それなのに、自分は収入の道も断たれ、たったひとり家で副作用に苦しみながら、何の展望もないままに悶々と生きている。

 時間だけはもてあますほどあった僕は、今後自分がどう生きるべきか答えを求めて、とにかくたくさん本を読むことにしました。図書館に通っていろんな本を手に取りました。


 将来への手がかりを求めて、むさぼるように読んだ本の中で、僕が特に感銘を受けたのは、明治の教育者・森信三が書いた『修身教授録』でした。ここに書かれた生死観は、生きる気力さえ奪う強烈な副作用に苦しみ、これから進むべき道も見えずにもがく僕の心に深く響いたのです。

「人は絶対に死んでいく。でも、この世に生を受けた以上、自分には役目がある。自分の精神がこの世からなくなったとしても、この世にプラスの意味で影響し続けることをやっていかなければならない」

 と、そこには書かれていました。



 自分の役目って?

 そう考えながら、医療のお世話になり続けてきた自分の半生をあらためて思い起こしました。そして、歯科技工士として歯科業界の中に身を置いていた5年間についても考えました。

 自分が何か意味のある仕事を残すとしたら、医療しかないのではないか。
 そうだ、僕は医療の分野で人のためになる支援活動をしていこう。

 でも、それにはどうしたらいいんだろう。
 僕はまず考えることからスタートしました。

 病気になりたいと思ってなる人はいない。何かの運命なのか、きっかけがあって病気にかかったり、怪我を負ったりするんです。自分自身、無収入の状態で毎月治療代7~8万円を支払う生活が続いて、不安に押しつぶされそうな2年間を過ごしました。ある程度覚悟して臨んだ治療でさえもこんなに辛いのだから、突然病に冒されて、先が見えない状況に放り込まれた人たちはどんなに大変なことだろう。

 そういう人たちを支援したいという思いが強く湧き上がってきました。精神的にも経済的にも、もっと安心して病気と闘える環境を作ってあげたい。
 それはまだ具体的な方法はおろか、支援の先がどこに向かっていくのかもわからないとてもザックリとした思いのままでした。だけど、このときの強い気持ちが僕を突き動かしたのです。

 医療支援にもさまざまな分野があります。
 ボランティアもそうかもしれない。だけど、たとえば医療現場にボランティアに行って困っている人を助けても、それは目の前の人の支えにしかなりません。僕はもっとたくさんの人を支援する仕組みを作り上げたい。そう強く思いました。

 大きな影響を残すためには、どんなに綺麗事を言っても必要となってくるのはお金なんだ。人を助けるために自分が動くにしても学ぶにしても、人に会いに行くにしても、お金がなければ始まらない。

 だったら、お金を稼ごう。
 そのためにはどうしたらいいか。自分で事業を起こして利益を出し、それを医療支援に回せばいい。
 じゃあ経営の勉強をしよう。

 そこでまず中小企業診断士の勉強をしました。資格については残念ながら、一歩手前で取得を諦めたのですが、勉強を通して経営についてのさまざまなノウハウを知ることができました。
 経営の勉強の一環で、地域経済からグローバル経済まで幅広い視点から経済について学びました。どの視点に立っても、焦点となるのは自分が住んでいる日本経済だということに気づきました。

 いろんな国を見て回った人が、最終的に日本はいちばん住みやすい国だと口を揃えています。さまざまな問題を抱えていても、こんなに多くの人たちが平和で幸せな生活を営んでいられるのは、社会としての経済力があってこそのものなのです。

 日本がこれからも幸せな国である続けるには、経済の活性化は不可欠です。そのために地域自体を自立させる必要がある。同時に、グローバル化の中で負けないメイドインジャパンを世界に売っていく必要もある。

 ローカルとグローバル、この両方を成立させるためにはどうしたらいいか。
地域資源を掘り起こし、世界にメイドインジャパンを売るにはインターネットビジネスしかない! 僕はそう考えました。
 県境も国境もないインターネットは、自分が住む富山の地域経済を活性化させ、ここから世界に発信するのには最適なツールだという思いが強まったのです。

 そこで、経営の勉強と並行して、インターネットビジネスについての勉強も進めました。

 その中でヤマシナ印刷㈱の山科森専務と㈱プロジェクトデザインの福井社長と知り合い、
2010年12月、「ハッピーモス」のブランドで苔の販売事業を行う株式会社フローを起こしました。

 会社の理念は、インターネットで苔をはじめとする地域資源やメイドインジャパンを販売した利益を医療支援につなげること! 
 この流れを作りたいという意味を込めて「フロー」という社名をつけたのです。

 では、この流れ=フローをどう作っていくのか。

 医療支援という言葉をざっくり分類すると、医療を提供する側への支援と、受ける側への支援に分かれます。
 僕は、その両方をつなぐ仕組み作りから関わっていきたい。

 提供する側への支援としては、たとえば医師や医療機関に対する金銭的なサポートとともに、教育や情報を提供するサポート。一例として、自分のインターネットスキルとつなげて、eラーニングからの情報提供をイメージしています。

 一方で受ける側への支援については、今、何が求められているのかをもっとリサーチして、自分なりに方針を決めて考えていかなければいけないと思っているところです。

 現段階では、ビジネスを軌道に乗せて利益を上げることを目指しながら、医療支援のための情報収集と人脈形成に取り組んでいる途中です。

 世の中ではどのように医療支援が行われているのかとか、何が必要とされているのか。もっと言えば医療の保険制度の仕組みはどうなっていて、足りないものは何かということまで、僕は知らないといけない。そこで見えてくるものに対して、いかにアクションを起こすのが、次の課題になるはずです。
 
 歯科業界で働いていたときにも、おかしいと思う制度はたくさんありました。同じように、どの医療現場でも矛盾はたくさんあるはずです。

 もし自分に何でもできる力があるなら、国の中枢にまで乗り込んで法律を根底から変えるでしょう。本気で医療に取り組もうと思ったら、そのくらい全力でかかる覚悟をしなくてはならない。自分自身もっと勉強する必要があるし、そこに精通した人とも知り合って人脈を広げる必要があるんです。
 医療支援を志した僕の道は、まだ第一歩を踏み出したばかりです。



 そういう背景を踏まえて、5年後の自分の姿を宣言します。


  35歳になった僕は、500人の聴衆の前で
 医療関連の講演をしています!



 自分が目指すものを考えれば、5年後にそのくらいはできる人間になっている必要があります。



 もう一つ、やりたいこと。
 それは、宇宙旅行です。

 突然話は飛ぶようだけど、これは自分個人の夢です。
 もともと宇宙に興味があって、NHKの宇宙特集などを食いついて見ていましたが、治療期間にネットでその手の番組をダウンロードして再びはまりました。宇宙に関する本もたくさん読んで、物理学、量子力学については特に興味を持ちました。難しい数式はわからないけど、理論や概要を知るにつけ、宇宙への思いが募っていったのです。

 死ぬまでに一度でいいから、宇宙から地球を眺めたい。
 
 マジシャンの引田天功さんは宇宙旅行をするために訓練を受けていて、その一環で戦闘機に乗って地球から成層圏まで行きました。そのときの話が、強く印象に残っています。

 宇宙から眺めると、リンゴの皮よりも薄い空気層に包まれた地球が見えるんだそうです。その中で人間が、そして生物が、命をもらって生きている。こんなふうに考えると、すべてがものすごく愛おしくなる、すべてに対して愛が芽生えるというのです。

 その感覚を、僕は死ぬまで一度でいいから味わいたい。その状態になってみたい。

 これは多分、長くて苦しい治療生活を通して生まれた、ずっと遠い外の世界への憧れと、生命の奥深い場所にまで触れたい欲求なのかもしれません。



 運命ってあると思います。

 もし、僕が火傷をしてC型肝炎にならなければ、普通にきっと今も歯科技工士として銀歯や入れ歯を作っていたんだと思います。

 医療支援のためにビジネスをしようなんて考えもしなかったし、宇宙から地球を眺めてみたいなんていうことも考えなかったでしょう。



 僕の役割は、きっとあの火傷をした瞬間に、僕の意志とは関係ない場所で決まったんです。そして自分の意志でそれを受け入れました。

 だから僕は、この役割を必ず果たすことができるんです。




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第0回 「本気のセミナーで交流し、本気で夢を宣言する」で私が宣言したことを書き残しておく・・・・・中北久美子

「がんばってね」がなぜ悪い!


疲れ切ってる人、心が病に追いつめられている人、
ギリギリまでがんばって、もうどうしていいかわからない人。

そんな人たちに「がんばってね」は酷な言葉だって言われます。
私もそうかなと思います。


だけどそれは言葉が悪いんじゃない。
「がんばって」と言う人の心が、「がんばって」という言葉の器にぴったりはまっていないんだ。

私は「がんばって」といわれたら燃えるし、
そういう人はたくさんいるはずなのに、
「がんばって」は禁句だと、マニュアルだけが一人歩きして、
言葉狩りの様相を呈しています。本質はそんなところにはないのに。



「がんばって」が悪いんじゃない、
「がんばって」と言われた人の心を考えずに安易に言葉を投げかける無神経が悪いのに。

発した言葉の結果について責任を取ろうともせず、
言葉に責任を負わせれば、それは楽かもしれないけど、
そうやって人は自動的に安全が保証されてる言葉だけを発するようになっていく。


心を盛りつける器は規格化され、当たり障りなく口からポロポロ吐き出される。
人に言葉を投げかけるとき、なぜ、自分の感情をどの器に乗せるか、
それが相手にどう響くか、しっかり考えもせずにその場を取り繕うかのような言葉を吐くのでしょうか。


「私は、言葉をつなげて文章を組み上げる仕事をしています。

文章を書く仕事に就こうと思ったとき、
あえて他人に代わってその人の思いを伝えるゴーストの分野を選びました。


自分には言葉を綴る能力だけあって、中身は空っぽ、
伝えるべき何ものも持っていないと思っていたから。



だったら伝えるべき内容はあふれるほど持っているのに、
それを上手に伝える技術を持たない人から話を聞き、彼らが伝えたい中身を、
的確な言葉の器に入れる仕事をしよう、そう思ったから。

「まさに、それを言いたかったんだ!」

そう思わせる言葉を見づけてあげよう。それが私の仕事だと思ったから。



心がいちばん収まりのいい言葉と文脈を見つけ、
その人でさえ気づかなかったその人の心を、きちんと腑に落ちるように表現し続けます。
5年後、10年後にも私はこれを続けています!」

・・・本当は、今日、それを宣言しようと思っていました。



だけど今、ちょっと気持ちが変わりました。



今日たまたま、ある参加者に個人的に見せる目的で、私は2冊の絵本を持ってきました。
この宣言の中で見せる意図はまったくなかったけど、何かに突き動かされるように、
私は今、これをみんなの前で見せています。
http://p.tl/JRMN


一冊は『にゃんだあ かんだあ ゆうえんち』 という絵本。
世界に200冊しかない、自費出版で作った絵本です。


富山に大和温さんというアーティストがいました。
残念ながら5年前に亡くなりましたが、
イラスト、デザイン、舞台美術、人形劇、モニュメント、壁画、イベント企画・・・
彼の活躍はジャンルを超えて『大和温」という作品世界を作り上げていました。

今も富山のあちこちに彼の作品は残っています。


彼とはそれぞれのホームページを通して交流が始まりました。
メールやチャットでやりとりするうちに一緒に何かを作ろうという話になりました。

当時私は福井に住んでいて、大和さんの住む富山との中間点、
金沢で何度も打ち合わせをしながら作り上げた、それがこの絵本です。


東京と大阪で開かれた絵本展のために制作した200冊は、
ほとんどが売れてしまいました。

今、私の手元にあるのは6冊ばかり。大切な宝物になっています。



もう一冊は、『アンドロイド・タイガー』という絵本。
これは、私の息子が9歳の時に作ったお話に、
やはり大和さんが絵をつけてくれたもの。


こちらも大阪での絵本展で展示されました。
印刷はしなかったので、原画のみ、世界でただ一冊の絵本です。


息子の持つ独特の世界観や、計り知れない「物語を作る人」としての力を、
最初にわかってくれたのが大和さんでした。


中学を出た息子は、高校に進まず、
今は自分の心の奥底を覗きながら毎日を闘って暮らしています。


そんな彼をなすすべもなく見守る私の心を、この絵本がいつも励ましてくれるのです。


幼い息子が作り上げたこのお話の中には、宇宙、生命、環境、輪廻、始まりと終わり・・・

すべてが語られています。それを大和さんは即座に読み取り、
物語をさらに深める素晴らしい絵本に仕上げてくれたのです。



たくさんの実績を持つクリエーターの大和さんは、私にとってはとても大きな存在でした。

だけど彼は、私のような何者でもない文章書きや、息子のような子どもでも、
一緒に何かをするときには、対等な「ものを作る人」として接してくれました。



時を経て、今、たまたまこの2冊の絵本を手にとって、あらためて思いました。
私は自分の中にちゃんと物語を持っていた。

そして、とても奇妙で才能あふれる物語を作る、もう1人の『物語書き』を育てきた。


中身がないから他人の物語を書いていたんじゃない。
「ものを作る人」として、他人の物語を編み込みながら、
私だって自分の物語を書いていたんだ、と。



だから、私は宣言します。
これから10年、私はもっともっといろんな人と出会い、
伝えたいことを持ついろんな人の思いを言葉にして、
そうしながら自分の中をたくさんのストーリーで満たし、そして・・・。



10年後には、自分自身の物語を語る人になっています。



それが私にはできると、私にはわかっています。
私はがんばる。
どうぞ「がんばって!」って言ってください。もっともっとがんばれるから。






※本気で宣言したことを言葉で残しておきたい人はご連絡ください。
あらためてお話聞きに行きます。

あのとき、あの瞬間、あのテンションで自分の全身から出た宣言を、
その熱さはそのままに、足らない言葉を付け加えて、文章として残しませんか?

私が本気で文章にして、(当然のことながら)著作権もろともさしあげます。

どこかで発表してもいいですし、
ひっそりプリントアウトしてご自分の机の前に貼っておいてもかまいません。

削るのも付け加えるのも改編するのもご自由に。
この宣言に関してはもちろん何の交換条件もなく
無料で承りますので、お気軽にお申し付けください。
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